オーストラリア1回目 後編
キャバクラで働くことになったまで書きましたが、キャバクラと言っても日本のような感じではなく、こちらではKaraokeと呼ばれています。
パースには日本人専門で日本人しかいないところもあったようですが、私は外人だけで日本人は私だけのところで働いていました。
そこは豪華な内装のカラオケ付き個室が10ほどあり、お客さんが来て、女の子をつけて欲しければ働いている女の子が一列になって名前と国籍を言い、選ばれたら横につく、というものでした。
パーティーやクラブに行くような格好をして並び、選ばれたらそこから時給が発生します。時給は私の時で50ドル、そこにもらえる時はチップがプラスです。
なのでお客さんが来なかったり、来ても自分が選ばれなければ、何時間も控えてまかないを食べて帰るだけとなります。
とはいえ、ただ横に座って話したり飲んだり、ドリンクを作ってサーブすると言うだけの仕事ですので、お酒が強い人にはもってこい、タダ酒エブリナイ。私はこれで太りました。
カラオケといっても、そこのカラオケはMVを流したり自分のケータイを繋ぐこともできたので、大体の人は歌わずに好きな音楽を流してプライベートパーティのようにして楽しんでおりました。
一度付いていたバースデーパーティーの部屋に本気のストリッパーが来て、色々股に入れ始めたときは痛そうでくるぶしがゾワゾワしました。
お客さんは独身最後パーティ(バチェラーパーティ)のグループや、ドラッグディーラー、ギャング、さらに一人でくるお爺さんまでカラフルな面々でした。
こういう場所はもちろんトラブルがつきものですね。いろいろありましたが、1番怖かったのはギャングの部屋に着いた時、トイレでドラッグディーラーとギャングの喧嘩が勃発し、部屋までドラッグディーラーの群れが押し寄せてきた時です。
初めてワインボトルを叩き割って武器にするのを目の当たりにしました。
とりあえず本能的に逃げないと死ぬと思ったので小学生の時リレーの選手だった自分を呼び起こして走りましたが私の前で同僚のタイ人の女の子が転びました。
10センチ以上のヒールを履いて仕事をしていたのですが、やばいとおもってその子を担いで逃げました。
150センチもないほどで細かったので、脇の下とその対角線の腰横を持って逃げました。小学生の時によくやった遊びが生きました。デブだったら完全に見捨てていました。
命からがら逃げ切った後、警察が来ましたが、私たちは税金払っていない勢なので近くのバーでビールを飲んで時間を潰しました。美味いビールでした。
ここで前の前の彼氏と出会ったり、色々いい思い出があります。中国人の女性オーナーだったのですが、何故かわからないけどものすごく可愛がってくれ、いろいろひいきしてくれました。何故か出勤時は毎回家の前までの送り迎えを用意してくれました。ほんとにありがてえ、なのに最後はフェードアウトして辞めました。私は最低です。
他の思い出はまたいつか書きます。
それでは!